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2020/09/23 |  社員ブログ

アーケード街は、ショッピングモールより楽しい NANMORI WALKER !!

大川に掛かる天神橋を北に渡ると、建物の間に、鳥居を模したゲートが見える。日本一長い商店街「天神橋筋商店街」の入り口だ。
 私は今から10年くらい前まで、地下鉄「南森町」、JR「大阪天満宮」駅に、通っていた。
 「天神橋筋商店街」を中心に、界隈にはFM802があって、昔は、よみうりテレビや関西テレビの御膝元と言う事もあり、録音や編集スタジオ、デザインや印刷関係の会社、制作会社やフリーのディレクター等、クリエイティブなお仕事の事務所が入った雑居ビルも多かった。
 NANMORI(ナンモリ)は、梅田に近く、3Wayアクセス(大阪市営地下鉄、谷町線、堺筋線)とJR西日本(JR東西線)で便利。下町情緒溢れる商店街を中心とした生活環境と、モダンな建物が「ナンモリ」の象徴の一つである、創立147年の堀川小学校の人気が後押しし、今や大阪市内を代表する、人気分譲マンションエリアとなっている。

 今回は、この「天神橋筋商店街」界隈を、土地活用の目線を交えながら、街の移り変わりと、その魅力をご紹介したい。

- 目次 -
CONTENTS

1.アンティークやモダンな建物も多いNANMORI !!

 ゲートの東側、アンティ-クな感じのビルは、25年位前はレストランだったが、現在はギャラリーになっている。
 ゲートをくぐると、しばらく飲食店に挟まれた中を北に進むと、アーケード街が始まる。
 この「天一」から、「天六」迄の南北2.6キロに及び、天神橋筋商店街のアーケード街が続く。コロナ渦の中、土曜日のお昼過ぎにも拘わらず、人通りで賑わっていた。

2.下町人情たっぷり商店街

アーケードの入り口をくぐる前に、西側に目を向けると手作りの豆腐店「村上商店」がある。いつも「おまけ」を付けてくれるので、三丁で良いのに、四丁入っていたりして、メニューを替えなければならない場合がある。
 さらに西側の天神橋筋の方に抜けると、天満宮の鳥居があり、道路を渡ったところにある「T&A南森町店」には、お昼を良く食べに行った。T&Aカレーの本部が、昔、この近くにあったかと記憶する。

3.GO TO NANMORI

商店街に戻り、「天一」を北に進むと、東側に、学問の神様菅原道真が祀られている大阪天満宮がある。毎年夏には、日本三大祭りの1つ大阪天神祭りで賑わうが、今年はコロナ渦の影響で、中止となった。
天満宮の鳥居をくぐり、境内を北に抜けたところに「繁昌亭」。いつもなら観光客で賑わっている場所も、コロナ渦の中で、今は静かだ。
 繁昌亭の北向かいにあるたこ焼き屋は、元々「街のペンション」だった。
 繁昌亭を背に北西側に少し行ったところに「星合の池」がある。
 数本の梅の木が植えられていて、ここで出来た梅を梅干しにして、天満宮に奉納されるらしい。
敷地内に「星合茶屋」というお店があり、「うどん」が食べられた。
 話好きのばあさんが確か、姪の方に手伝ってもらって、店を切り盛りしていた。数年前からばあさんの姿は見かけなくなったが、お店は姪の方が引き継いでいる。
 現在は、やはりコロナ禍の中でお店での飲食は自粛。池の隣の建物を間借りして、「すべらんうどん」等、関連商品が売られていた。製法特許によるユニバーサルデザイン食品の「すべらんうどん」の乾麺は、天満宮に肖り、受験生のいる方への手土産に、良く買いに来た。

4.30年で、物価は2倍?

天満宮より、商店街を挟んで、西側に位置する路地にあるのが「森町食堂」。今や、各地で展開されている「まいどおおきに食堂」の1号店だ。FM802の出演者たちが、たまに番組の中で話題にあげていた事から、ナンモリの顔の一つになった。因みにJR天満駅の近くには「林町食堂」があった。
 商店街に戻って、もう1軒。「天一」と「天二」を隔てる、国道1号線の手前にある「中村屋のコロッケ」だ。30年程前は、1個40円だったと思うが、今は80円。この日も行列が、国道1号線を渡る横断歩道まで、続いていた。
  行列が出来ているコロッケを諦めて、国道1号線を渡る際、東側に堀川小学校のモダンな建物が目に入る。以前は、1学年100名に満たない児童数で、教育に目が行き届くという事で、子供をこの小学校に通わせたいという事から、引っ越して来られた方々も多かったが、今は、「指定校変更・区域外就学」の制度により、他の学校区からも就学が可能となっている事から、全学年110名を超え、更に年々増え続けている。

5.美味しい味は健在です

商店街を「天二」に入ると、当時の上司達に、お昼の買出しに良くお使いに行かされた「ニシオベーカリー」がある。向かい側の暗い路地?の奥に見えるのは、餃子が有名な「おばちゃんの店」。そして「西日本書店」は、冒頭に紹介させて頂いたように、以前はクリエイティブなお仕事の方が多かった事から、デザイン関係の書籍が、充実していた。
 国道1号線から1本北側の路地の東角のケーキ店「ムーラタルト」は、昔は「吉野屋」という靴店だった。20年程前にパテシエとなった息子さんの為に、靴屋を閉めた。
 この日もまだお昼過ぎだと言うのに、ショーケースはほとんど空の状態。人気ケーキ店になっている。オープン当初、お客様が並ぶ姿を嬉しそうに眺めている、親父さんの顔が浮かんだ。このケーキ店から、北側が「天三」になる。    
 ケーキ店の角を東に曲がり、一つ目の角にあった事務用品店は、動物病院になっていた。
 動物病院は、ペットを飼える環境(住居)が多い場所が、新規開業のポイントである。いかに周辺に分譲住宅が多い地域である事かが伺える。

6.新規開業エリアとしても人気

天神橋筋商店街は大阪市営地下鉄の「南森町」「扇町」「天神橋筋六丁目」、JR西日本の「大阪天満宮」「天満」の駅間を、ほぼ、雨に濡れることなく移動できるアーケード街である。商店街側に出入口を設けないハズがない。
 天神橋筋商店街に限らず、シャッター通りとなっている、アーケードの商店街でも、駅前から続く場所であれば、交通量も多く、診療所の立地としては悪くない。
 昔からある診療所も、商店街側と、裏側にも出入口がある造りになっているが、商店街に面して、小児科や内科の新しい診療所が増えている事を感じた。また、今は新規開業希望の医師も少ないと言われる産婦人科が、元気に存在していた。これに呼応して、以前は、商店街の外にあった、調剤薬局が、商店街の中で営業している。
 ナンモリ界隈は、昼間人口も、夜間人口も見込める、新規開業を検討しているドクターにとっても、魅力的なエリアと言える。
 ケーキ店に戻り、商店街を跨いで、南森町駅「5番出口」に向かう途中で、空地があった。昔「花房」というおでん屋があった場所である。ここで土地活用を提案するとすれば、やはり一番に頭に過るのが、「医療ビル」である。

7.土地活用の街

ここまでは、なんとなく、昔なじみの店等の紹介となったが、商店街を歩くと、ところどころにガードフェンスが見られる。
 テナントビルに建替えられる場合もあるが、先にも述べたように、このエリアは住居区としても人気が高く、1階を店舗に、店舗の脇にマンションの入り口を設けたマンションが、建てられる事も多い。
 あと、何故が「呉服屋」が増えている事が気が付いた。
 恐らく、インバウンド消費を見越して、外国人観光客向けに、「船場の呉服問屋」から、出店されているのだと思う。
 2階にある、少々物騒な感じのする「GUN’s」ショップは、
以前は1階店舗で営業していた。店舗の建替えで、土地活用されたのだろう。
 もちろん、建替えられることなく、以前の建物のまま、別の業種が新規開業している物件もある。

8.歴史ある町

 「天三」のほぼ中間あたりに、「丸万寿司」があり、その角を東に曲がると、「紅梅温泉」がある。
 先輩たちが、「貫徹」で仕事をする際、利用していると聞かされていて、会社には「お風呂セット」があった。
 この「天三」の東側に位置する紅梅町、与力町、同心町、松ヶ枝町には、「大塩平八郎の乱」で知られる旧所、名跡が残っていて、以前は古い民家が多くあったが、今は、分譲マンションが立ち並んでいる。

9.変わりゆく街の風景

 「丸万寿司」に戻り、再び商店街を向かう。高速道路をくぐり、横断歩道を渡ると、「天四」だ。
 「天四」の入り口、西側角にある保険ショップがある場所には、永くミスタードーナツの店舗があった。
 「天一」から「天四」の間に、目に留まっただけでも、保険ショップは、3軒目もあった。20年前にはなかった業態だ。
 「天四」を少し北に進むと、お店前のショーケースに、女性が集まる「西洋茶館」という喫茶店がある。昔同じ年齢の先輩社員が後輩(私)の誕生日にケーキを買って来てくれたお店が今も健在だ。
 更に進むとJRの高架が見え、西側の路地に入った先にあるセブンイレブンの場所には、以前、「林町食堂」があった。
 JRの高架をくぐり、線路沿いを東側に行くと、空手の「正道会館」があり、私が当時K-1の人気選手であったアンディ・フグの弔問に訪れたのは、もう20年も前の事である。その向かい側に、高架下のスペースを活用して、ドンキホーテが出店していた。

10.食文化の宝庫、天満市場界隈

 「天四」から「天六」掛けての、商店街は道幅が狭くなっている。この狭い通りに対し、東西に更に細い路地があり、意外と穴場の飲食店がたくさんある。
 13年間、私を企画マンに育ててくれた社長が、たまにお昼に会社を抜け出し、奥さんとランチデートをしていた蕎麦屋は、
居酒屋になっており、一度、蕎麦通の友人を連れて来た時に絶賛していたので、残念に思った。
 「天四」の北東に位置する天満市場の界隈は、細い路地が多く、古い建物の建替えはあっても、中々大きな建物が建てられない事から、土地活用には向いていない。
 そんな一角にお地蔵さんがあった。最近話題になった「大阪七墓」の一つがここにあったらしい。3ヶ月ほど前に、「認可保育園」の用地探しで、物件調査していた際には気が付かなかったが、もし、隣の駐車場を土地活用で口説けていたら、“遺骨”が出た可能性がある?
 その北西側の角地に、3カ月ほど前には古建物があったが、今は更地になっていた。ちょっと前なら、外国人向けのホステル等の提案が出来たかも知れないが、そのような土地活用提案もコロナ渦の中で、皆無になった。

11.大阪のくらし文化を感じる

商店街に戻り、「天五商店街」から連なる通りと交差する場所から東側に入ると、天満界隈で鎬を削る「寿司政」と「春駒」が向かい合わせで店を構えている。私は「寿司政」派であるが、ネタは「春駒」の方が大きいらしい。
 この交差点を過ぎると、後、300m程で、アーケード街も終わる。アーケード街の最終地点の東側に、「大阪市立住まい情報センター」があり、その中に、息子たちが未だ小学生のころ、
良く訪れた「大阪くらしの今昔館」がある。昔の町並みを再現した展示や、映画“三丁目の夕日”を思わせる、ちょっとノスタルジックなジオラマ展示などがあり、懐かしさを覚える。
 何となく、通りは更に北側に続く感じではあるが、アーケード街はここまで。
  今日は、地下水の水風呂が心地よい、「楽天地温泉」で、汗を流して帰ろう。