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2019/07/25 |  社員ブログ

「イカす侍」のCMの会社

 当社は名刺に、CMキャラクターである『イカす侍』を入れている。営業現場で名刺を渡すと「このイカ・・・どこかで見たことあるなぁ。」と言われる事も増えてきた。

 テレビCMの他に、定期的にラジオ番組の中で、当社の社員による土地活用のPRを行なっている。放送後、ラジオリスナーから、自分の所有物件についての電話相談を受ける事も多くなった。
 多くの地主は、自分の物件を多少なりとも、過大評価している。
 私がこういった電話を受けた時は、話を伺いながら、パソコン画面で場所を確認しながら応対する。私は、沖縄県を除く、46都道府県全てに仕事で訪ね、殆どの幹線道路を車で走った事があり、だいたいの場所の土地柄や民度、ロケーションの判断が出来るので、その場で難しい物件はきちんとその理由を説明し、お断りする事もある。

 全ての物件が、収益物件として活かされることはない。

 実は私の土地活用提案の原点は、あるスポーツとの出会いにある。

- 目次 -
CONTENTS

1.豊和開発の土地活用は介護、医療、児童施設がメイン

 悲願の初優勝!! 
 今年6月、イランで行なわれたAFC(アジアサッカー連盟) U-20フットサル選手権イラン2019で、フットサルU-20日本代表は、22日決勝戦でアフガニスタンを3-1で破り、初優勝を果たした。
 フル代表では過去3度、アジアチャンピオンになっているが、この年代(U-20)にとっては、初タイトルになる。
   フットサルは、南米を中心に発展したサロンフットボールや、欧米やオーストラリアで広まったインドアサッカーが起源と言われていて、欧州各国各々の競技とルールがあったのを、UEFA(欧州サッカー連盟)が、オランダで発展した『ザール』という競技のルールを基にして、インドアサッカーのルール統一をしたものを、1994年にFIFA(国際サッカー連盟)とFIFUSA(国際サロンフットボール連盟)により、ルールが改められ、『フットサル(FUTSAL)』と名前が定められた、基本的には室内で行なわれる比較的新しい、サッカーに『似た』競技である。
 
 今でこそ、普通にこんなニュースが報道されるが、私がフットサルをはじめた頃は、あくまで『ミニサッカー』をやっているという扱いであった。

 電話等で地主様などに連絡する際、『土地活用』とお話しをすると、ほとんどの方が『賃貸マンションの話』と思い、中には、そのまま反射的にお断わりされる場合もある。ほんの5年程前迄、介護施設や、医療施設(医療ビル)といった土地活用の提案はとても珍しがられた。
 私の当社での『初ゴール』は、宝塚市にある診療所の『門前薬局様』の土地探しであった。限られた3物件程度の土地をターゲットに、地主様を口説くという作業だ。
 人気のある診療所から処方箋が欲しい調剤薬局から依頼された案件だったが、このように事業者からの依頼で、その事業者の希望を叶える土地を探す場合、土地へのアプローチのハードルが高くなる。
 介護事業だから、医療施設だから、児童施設だから、理解のあるオーナーの温情にすがりたいという事業者もいるが、経済合理性が合致してこその土地有効活用なのだから、そんなに都合の良い話は転がっていない。

 「干し草の山から針を探す」

 これは当社の社長が良く使う例えだ。
 私は社長が営業現場でこの台詞を使うとき、まさにその通りだと思う。

 実は、私はこの『初ゴール』からの経験で、以後同様の依頼案件に取組む事が多い。難しい仕事ではあるが、物件を見付け出し、地主と出会えた時のワクワク感、合意できた時の達成感は何事にも変えがたい。
 当社の土地活用は、介護施設の誘致から始まり、この希少価値の高い土地を探す目利きと、アプローチは多くの事業者から信頼を得ている。

2.土地活用との出会いはフットサルコート

 私は、30代の頃週に2~3回はコートに足を運び、ボールを蹴る程の『フットサル馬鹿』だった。今も生涯現役を目指し、月に2~3回はボールを蹴っている。

   29歳の時、ある雑誌がきっかけで、私はハワイで行われるホノルルマラソンに参加する機会を得た。
 参加が決まったのが8月下旬。本番は12月上旬とタイトなスケジュールの中で、トレーニングを重ね、無事完走を果たした。すると私のそれまでダラけきっていた身体は、体脂肪8%台の、アスリート体型に変貌していた。
 大会後も、既に私の生活の中でトレーニングはルーティン化していたが、次の目標もなく、出来上がった身体を持て余す日々が続いた。

 当時私が勤めていた会社のグループ会社(私の勤めていた会社の専務が、その会社の社長)には、『遊休地活用』という名目で、ゴルフ練習場やバッティングドーム、そしてフットサルコートを企画提案、設計施工をしているスポーツ事業部という部署があった。 

 私が勤めていた会社は、自動車用潤滑油の販売会社で、私は企画広報の仕事をしていて、雇っていたクリエーターが『遊休地活用』を行っていたグループ会社も担当しており、そのスポーツ事業部にいたエース営業マン(S氏)が同じ歳で親交もあり、私がアスリートに生まれ変わったという情報を聞きつけた彼は、自身が担当する、大阪初のフットサルコートオープンの情報を提供して来た。
 そしてその施設のキャラクターや、ポスター、チラシ等のデザインを担当していたクリエーターを通じて、私は無償でフットサルコートの会員証を手にする事となった。
 
 これが、私とフットサルの出会いだ。1996年冬の事である。

 日本でのフットサルは、1996年に初の全国大会『日産カップ』が開催されたばかりで、サッカー協会からも公式のルールブックは出されておらず、きちんとした審判のライセンス等もなかった。(因みにこの第一回大会の優勝チームのOBチームに、2年後、ある草大会で対戦し、4-5で負けた事がある)

 私はS氏の紹介で、当時大阪サッカー協会のフットサル委員長であったY氏(現大阪府フットサル連盟委員長)を紹介され、各地で大会や行事の手伝い、私が主催する倶楽部のメンバーと一緒に参加して盛り上げていた。その中で、Y氏から参考にと見せてもらったルールブックは、オランダの『ザール』のルールブックを和訳したものであった。

 色々手伝いさせて頂いた中で、忘れられない経験がある。
 それは今でこそ、国際大会やルールもあるが、当時はまだ4人制なのか、5人制なのか、ゴールのサイズ等を含め、正式な『カタチ』さえなかったビーチサッカーの審判の手伝いをした時の事。参加者がルールを受け入れないまま、自由が利かない環境で、しかも炎天のもとで接触プレーが続き、収拾がつかない中で、笛を吹く私達に対し『敵意』を剥き出しにし、試合とは関係のない所で、罵声を浴びせられ、帰り道、身の危険さえ感じた。

 そんな苦労の報償(?)として、フットサルの3級審判のライセンスが出来た時には、真っ先に講習会に声を掛けてもらい、3級審判ライセンスを頂いた。

3.スポーツ施設の土地活用に携わる

 サッカーとフットサルの両方の3級審判のライセンスを所有している事、第2回の日産カップの大阪府予選(参加8チーム)に、実業団チームに交じって参加していた事、関西のランキングで12位(約800チーム中)にランキングされた事がある事etc…
 『サッカー≠フットサル』をポリシーに、関西のフットサルの草創期、確実に私と私の仲間達が、これを支えたと、自負している。
 
 その後、2つの会社が合併し、私は企画広報の立場で、S氏のスポーツ事業部の手伝いをする機会を持つこととなった。

 会社としては、請負額の高い、ゴルフ練習場や、バッティングドームの提案を、交通の便がよく、集客力に期待が持て、資金力のあるオーナーが所有する物件をターゲットに、企業の所有地や、大地主様向けに銀行等を通じてアプローチを行う事を主としていたが、1997年11月『ジョホールバルの歓喜』に後押しされ、巷でJリーグ開幕後の勢いにも勝るサッカーブームが訪れていた中で、10億円規模の案件となる、ゴルフ練習場やバッティングドームの提案は決まる事はなかった。
 
 一方、フットサルコートの場合、提案する『遊休地』は、下火になっていた『テニスコート』や『駐車場』、商業施設の『屋上』であった。
 駐車場の場合、単に駐車場の一角ではなく、ロードサイドの店舗(主に飲食店)、ホテルや商業施設の広い駐車場への提案だった。

  今なら、集客力のあるロードサイド店舗の駐車場の一角の活用となると、『相乗効果』が期待できる事業での土地活用を提案出来るが、無理な提案だったかも知れない・・・。

 当時、飲食店の店舗の駐車場や、地方のリゾートホテルでの併設施設(フットサルコート)は、今はほとんどが閉鎖されている。
 飲食店は、流行りの移り変わりが激しいし、やっぱり汗を流した後は、冷たいビールでも飲みたいとなれば、車はNG。
 地方のリゾートホテルの場合は、そもそも周辺人口に期待は持てないし、2チームの対戦カードを組むためのメンバーを、泊りで確保出来る主宰者もそういない。 私が主宰する倶楽部では、合宿地として利用し、地元のチームにも声を掛け、練習と交流戦をしたこともあるが、せいぜい年に一度位だった。

 遊休地活用≠土地活用。
 今この仕事(土地有効活用)に携わり、当時を振返り、改めて、それが無理な提案だったのではないかと思う。

4.土地活用のターゲットはテニスクラブ

 テニスコートにフットサルコートを提案する場合、何面かあるコートの内で、稼働率を考え、そのうちの3面を2面のフットサルコートに生まれ変わらせるという提案で、今でこそ、屋内コートがたくさんあるが、当時は、人工芝コートが主流だったので、ネットを高くし、人工芝を貼り、ゴールを設置するだけで、既存のクラブハウスも共有する事で、1面3,000万円程度の投資でフットサルコートに、リノベーションが可能であった。
 
 ただ、照明がフットサル用ではない為、テニスコートからのリノベーションコートは、利用者としてはナイター時には少し光量不足を感じる施設が多かった。

 商業施設の場合、屋上を活用した提案も多かった。
 
 投資金額がそれほど大きくない事と、ワールドカップ初出場(フランス1998)で、湧きに沸く中、概ねフットサル提案は聞き入れられたが、野球用品が主流であった大手スポーツ用品メーカーのM社がフットサル事業に参入して来たのを機に、競合する事が多くなり、M社はテニスコート提案で培ったノウハウで、道具の提供(大会スポンサー等含む)と、開設後のオペレーション付で提案をされると、私の勤めていた会社が受注に至ることはなかった。

 しばらくして、スポーツ事業部は廃部となった。

5.本物の土地活用との出会い

 それから15年後、私は全く別の仕事をしていた。
 22年勤めた会社を辞め、自分で個人事業主(損保代理店)を目指し頑張っていたが、世間はやはりそう甘くなく、行き詰まっていた。
 この保険の仕事をしていた時の最後の顧客(契約者)が、大阪狭山市に住む大地主で、自身の資産を管理する管理会社で、企業向けの保険に入りたいという話があり、いろいろと事業内容を聞いている中で、その方が取組んでいる、介護施設を一棟貸しについて教わった。
 既に次の仕事を探していた私は、賃貸マンションや、商業店舗のテナントを仲介、企画提案している会社の存在は知っていたが、介護施設の一棟貸というビジネスを、初めて耳にした。
 いろいろ教わりながら、その方の会社のリスクヘッジになる保険提案をし、無事契約を終え、保険代理店を目指す仕事を辞めた。

 そして、面接を受けたのが、豊和開発株式会社だった。

 面接で、社長から会社の事業内容の説明を受けた際、これがあの大阪狭山市の地主様が言っていたビジネスだとわかり、そのエピソードを話しながら、「面白い仕事だと思う」と社長に話した事を覚えている。

 豊和開発株式会社では、主に、介護、医療、児童(保育園、こども園)施設を中心に、土地有効活用の提案を行っている。
全く違う分野からの転職であったが、これまでの職歴の中で、少しかじった程度ではあるが、スポーツレクレーション施設や、カーメンテナンス(車の修理やメンテナンス、美装や洗車等)の店舗等の誘致や開設の提案を経験した際に知り得た知識等が、物件の立地やロケーションの評価、アドレスによる土地柄や民度による顧客層の見方等、多少なり活かされている。
事業者に声を掛ける際の、業種の選定や、物件紹介の際の説明を深める事にも役立っている。

 全ての物件を、世の中の役に立つ新しいものに生まれ変わらせる事が出来れば、どんなに良いかとも思うが、経済合理性が成立ってこそ初めて、土地活用が実現する。
 当社の目的はあくまで『有効』活用である。

 土地の評価はハッキリと伝える。
 恐らく同じ物件を説明したとしても、表現や説明の順番で事業者の受け止め方は、かなり違うと思う。
 その場所の評価をきちんと伝えた上で、その場所での事業性と、賃料とのバランスを探りながら、双方の合意点に導くのが、当社の仕事である。 
 全ての物件を良い方向で、評価を『盛る』のではなく、難しい部分は、難しいと伝える事で信頼を得る事も多い。
 どこよりも、一番満足頂ける土地活用提案をする。それが豊和開発の仕事だ。

6.豊和開発のDNAを受け継ぐ

 当社が取扱う施設の中には、マスコミの偏った報道の中で、誤ったイメージが刷り込まれ、建設を歓迎されない施設もある。
 最近、このような施設計画の近隣対策業務を通じて、説明会等で不満を表していた近隣の方から、色々と自宅の改修の事で相談を受ける事が多くなった。

 よく事業者の方から「この場所で、この施設だと、近隣対応が大変でしょう」と心配される事があるが、私は「きちんと丁寧に説明すれば問題ありません」と応える。
 当社の成立ちに端を発する近隣対策業務は、所謂お家芸だ。
 『近隣対策はやりすぎたかなぁと、思うくらいが丁度いい。』
 これが、私が、先輩社員から受け継いだ豊和開発のDNAだと思っている。
 この2年の間に、認可保育園を10園以上、誘致してきたが、近隣協議で計画が頓挫したり、工事を遅れさせた案件は1つもない。
 土地活用は、貸主(地主)と借主(事業者)の経済合理性の追求だけではなく、その周辺の方から歓迎(感謝)される仕事でなければならない。

7.土地活用は醍醐味のある仕事

2019年秋、恒例の社員旅行、今年は静岡になりそうだ。
 静岡と言えば、富士山、お茶、駿河湾、桜海老、サッカー、そしてFISCO(富士スピードウェイ)。そのFISCO周辺は、レース関係者が集まる『レース村』と呼ばれている。
 2002年から2006年に掛けて、私は週末はサーキットで販促活動をしているか、フットサルコートで、汗を流しているという生活を送っていた。

 私が仕事でサーキットに足を運んでいた頃、自動車業界に居ながら、私は自動車にはあまり興味がなかった。しかし仕事柄、色々な方を取材させて頂く事が多く、耳年寄りではあった。
 特に『日本一早い男』が代名詞だった、レーシングドライバーH氏や、元F1レーシングドライバーのN氏、京都府出身のレーシングドライバーM氏らと共に、日本のモータースポーツを支えてきたレース用エンジンのチューニングやメンテナンスを行う会社のI氏、メカニックのK氏という二人の技術者の方には本当に、色々な事を教わった。

 そんな中、レース仲間内で、有名な芸能人レーシングドライバーKM氏の事を悪く言うやつは一人もいないという話を聞かされた。KM氏はアイドルとして人気絶頂期の頃、忙しいスケジュールの合間を縫っては、FISCOに足を運び、レース村の方々に、自動車の事、レースの事を学んだそうだ。「いろんなタレント、有名人が、火遊び程度には(レース業界に)やって来たが、ツナギを着て、油まみれになりながら車にもぐり、俺たちの話に真剣に耳を傾けていたやつはKM氏だけだ。だから、俺たちはみんなで、彼を支えて、育ててやろうと思ったんだ」と、メカニックのK氏からそんな話を聞かされていた。 
 その頃、お世話になっていたレーシングチームのコーディネーターをしているM氏からは、「KM氏は、事務所次期社長ですから。レース業界の者は、みんなそう言っています。」という話を聞かされていた。

8.仕事を楽しむ

 私には、そんなKM氏との忘れられないエピソードがある。
 その時私は、いつも通り、サーキットで販促の仕事をするため、作業着でホテルの前に立っていた。すると、一台の車が目の前に止まり、中から挨拶して来られた方がいた。KM氏が代表を務める会社のマネジャーであった。この方とは親交のあった奈良県出身のレーシングドライバーM氏を通じて、一度お会いした事があった。
 そのマネジャーの隣席で、私に深々と頭を下げる人物がいた。それがKM氏だ。とにもかくにも、私の世代にとって、KM氏はスーパースターであり、そのスーパースターが、会った事も、言葉を交わした事もない私に深々と頭を下げているという出来事を、私は忘れない。余談ではあるが、奈良県出身のレーシングドライバーM氏は、今、S氏がサポートするレーシングチームのドライバーを務めている。

 何の自慢にもならないが、私はこれまで、5つの会社を渡り歩いた。ありがたい事に、仕事自体を辛いと感じたことがない。どの仕事も楽しんでやって来た。

「土地活用」
 今、私にこんな楽しく、醍醐味のある仕事との出会いのきっかけを作ってくれたS氏は今、自動車業界の中で、レースサポートをする大企業の会長職にあり、私は毎日土地を眺めて、最上の有効活用を考えている。
 人生は実におもしろい。
【営業本部・建築管理部兼任・田宮英美】